アメリカンヒストリーのTerm Paperを提出しました。
本当は、「日本から見た第二次世界大戦」というような内容で書きたかったのですが、うまくまとめられなかったのでやめました。原爆について特筆すると、どうしても一方的にアメリカを責めるスタイルのペーパーになってしまうし、そうじゃなく、日本の当時の危機管理レベルの低さなどに触れると、一貫性がなくなってしまう。そもそも、わたしが書いたら日本史のペーパーだなあ・・・と思って泣く泣くこれはボツにしました。
結局、「ライト兄弟の飛行機の発明と、戦争の巨大化の関係」というような内容で書きました。どっちにしろ戦争になっちゃった。
先日Flyboysという映画を見たときに、ネタになるかも、と思ったそのとおりになりました。
というわけで、1903年にライト兄弟が動力飛行に成功して、第一次、第二次世界大戦、冷戦、キューバ危機と戦争に飛行機が密接にかかわったことと、民間旅客機の普及からアメリカ同時多発テロ事件までのこと、これらについてのペーパーになりました。
書いている最中に、飛行機の性能や名前についても調べなくちゃいけないことに初めて気がつき、いまさら止められないところにすでにいたので、やりましたよ、各国の戦闘機のリサーチ!これがもう、めんどくさかったのなんのって!
でも、やってて結構面白かったです。それは、こんなカンジ↓
オハイオ州デイトンで自転車やさんだったライト兄弟は、飛行機の開発のために、ノースカロライナ州キティホークに引っ越してきます。
1903年に動力飛行に成功するものの、研究よりも、お金儲けに興味があったらしく、特許の取得で、モメモメに。彼らが取得した特許は、飛行機が飛ぶために必要な基本的な部分のものだったため、無断で使う人たちとの裁判が絶えなかったそうです。飛行機は、見れば仕組みがわかってしまうものなので、ライト兄弟はテスト飛行をアメリカではなくヨーロッパで行うようになります。ヨーロッパは、特許制度がアメリカと違ったので、彼らの発明が特許として守られることはなく、ヨーロッパの航空技術のほうがアメリカよりも先に進歩してしまうのです。
第一次世界大戦当初に使われた飛行機にはまだ機関銃はついていなくて、どちらかというと、偵察機の役割が大きかったそうです。上空で敵機と遭遇してもハンカチ振り合って挨拶してすれ違うような、平和な任務だったとか。でも、偵察機を無事に相手の陣地に帰してしまうのは作戦遂行上マズイというわけで、レンガや手榴弾を投げて徐々に応戦するようになっていきます。第一次世界大戦の終わりには、飛行機は戦闘機として戦争のメインになっています。
第二次世界大戦では、ボーイングのような機体の大きな戦闘機が開発され、それが原爆をつんで日本上空にやってくるわけです。また、日本のゼロ戦は、軽量で高速な戦闘機として一瞬活躍しますが、すぐに他国に追いつき追い越されます。最終的には、最大積載量を相当にオーバーする爆弾を積んで、敵機につっこむ「カミカゼ特攻隊」になります。積載制限は60キロだったのに、最後には250キロの爆弾を積んでいたんだとか。
その後は、民間旅客機の発達とパレスチナ問題などの中東情勢、これらのカラミでアメリカ同時多発テロ事件が発生します。これはもう、みなさんご存知の通り。
中東の問題は、国と国が入り組んでいてすっごくややこしかったですが、ここはサラっと流したので、戦闘機のリサーチほどタイヘンではありませんでした。ただ、わたし自身が、人に説明できるほど理解したとは言いがたいので、ここに書くのは割愛します。ちなみにおともだちは、ブッシュさんではなく、ゴアさんが大統領になっていたら、湾岸戦争は起こらなかったのにね、と言っていました。
40近くにものぼるリサーチソース、日本語のソース約4つはプリントアウトして使ったところにハイライトして英訳をメモしました。それらを合わせたら、厚さが1センチほどのすごい量になりましたが、「やったぞアピール」はこれで完璧です。あとは先生が気に入っていい成績をつけてくれるのを待つだけです。頼むよー。
参考資料
飛行機の歴史
航空に関する年表
ライト兄弟
キティホーク